日本人は、いつごろからウメボシを食べはじめるよううになったのでしょうか。
梅は日本人の生活に深く密着しています。では日本人とのつきあいがいつごろからはじまったのかというと、はっきりしたことはよくわかっていません。
従来の説によれば、梅の木は中国の湖北省、四川省の高地が原産地であり、いまからおよそ1500年前、日本に渡来したといいます。それは烏梅といって、熟れかけた実を籠に入れ、煙でいぶして燻製にしたもので、現代でも様々な薬効のあることが認められています。
また歴史学者の樋口清之しによれば、ウメという日本語は、中国語の梅の音「メー」に接頭語「ウ(又はム)」がついたものであり、このことも中国渡来の事実を傍証するようにみえます。
ところが近年、縄文時代の遺跡から、梅の実の種が発見されました。そうなると、もっと渡来の時期が早いのか、または日本にも在来種の梅があったのかもしれません。九州や山梨県の一部地域で、野生の梅の品種が自生しているという話もあって、それを裏付けるようにも思えます。あるいはむしろ、日本が原産地だったという可能性もあり、実際にそういう説も出ているようで、一度いろいろな面から総合的に検討しなおす必要がありそうです。
梅は植物学的にはバラ科に属し、落葉の高木で高さ10メートルにもになります。温暖な気候の土地が適しており、花を観賞するための花梅と、食用の実梅に分類されます。園芸品種として300種以上のものがあり、変り種として花弁が八重になるものや紅花、枝がしだれるものなど、いろいろあります。また桃やあんず、すももなどが、梅の仲間にあたります。
日本人は、いつごろからウメボシを食べはじめるよううになったのでしょうか。
『万葉集』には梅の花を詠んだ歌がいくつもありますが、梅干に関する歌はひとつもありません。しかしだからといって、そのころまだウメボシがなかったとは断定できないでしょう。ただ単に、歌に詠みにくい題材だったのかもしれません。というのも、ウメボシは最初は薬用として用いられていたらしいからです。
文献上にウメボシがはじめて登場するのは、平安時代中期、948年のことです。村上天皇の病気の治療のために、ウメボシと昆布を入れやお茶が用いられたことが記されています。これによって天皇の病気が平癒し、この年が申年であったことから、申年の梅の実は薬効が高いと言い伝えられるようになりました。
他では『枕草子』にも、ウメボシが出てきます。歯に衣を着せぬ清少納言は、「歯もなき女の梅(むめ)くひて酸がりたる」(歯のない女がウメボシを食べて酸っぱがっている)様を、“にげなきもの”(につかわしくないもの)として切って捨てていますが、酸は歯にとって強敵であり、歯をもろくします。歯がなければ元々ハナシにならないところです。また、妊娠した女性にとって、昔からウメボシはありがたい薬だったのです。